内藤と裕二郎の点と線

さて、久しぶりの「ありし日の…」ですが、今回は「内藤と裕二郎の点と線」を取り上げたいと思います。

New Japan Cupの1回戦、シングル対決となった二人。最近のファンの方は、内藤がロスインゴを結成する前に「NO LIMIT」と言うタッグを高橋裕二郎と結成していたことを知らない方も多いと思いますので、ご紹介したいと思います。

ヤングライオン時代

裕二郎は2004年にデビュー。内藤は2006年にデビューの先輩後輩の関係。

前座戦ではタッグを組むことも多かった両者ですが、2007年8.5のG1CLIMAXの初日の第一試合でシングルが組まれます。

出典:新日本プロレス公式サイト

当時のコメントを以下に抜粋します。

裕二郎「まだまだ内藤には負けない。(中略)これが俺と内藤のG1です。前座だろうが、メインだろうが、関係ない。お客さんのハートを掴んだヤツが勝つ!」

内藤「(裕二郎を超えると)ずっと言い続けているけど、まだ超えられない。ただ、今日は負けたけど、勝ち負け以上に今日のこの舞台、G1 CLIMAX開幕戦の第1試合で、俺と裕二郎が(試合)しをできたことが、俺はすごく嬉しいし、カードを組んでくれた会社に感謝したいと思います。いつかこの大きな会場で、第1試合じゃ無くてメインで、俺と裕二郎がシングルでメインをできるように頑張りたいと思います」

出典:新日本プロレス公式サイト

ヤングライオンらしい溌剌としたコメントの中に、お互いへのリスペクトやライバル関係がにじみ出ています。

残念ながらその時の試合は新日本プロレスワールドにはありませんでしたが、公式YouTubeに2006年の二人の対戦が残っていました↓

NO LIMIT結成

2008年3.9、二人はNO LIMITと言うタッグチームを結成。黒パンツから裕二郎がオレンジ、内藤が赤のショートスパッツの新コスチュームを披露しました。

出典:新日本プロレス公式サイト

その時の二人のコメントは、輝く未来に対する情熱がほとばしるものでした。

裕二郎「(前略)最強タッグチームだから、俺と内藤は。キャリアは関係無いんだよ。最高のタッグチームだよ、俺と内藤は」

内藤「(前略)タッグは1+1が2以上になるから面白いんだよ。アイツらは1+1は2だよ。俺らはNO LIMIT、限界ないから、無限にもなるんだよ」

裕二郎「ザッツライト!行こう」

出典:新日本プロレス公式サイト

内藤の自伝によると「自分は意見をガンガン言うのに対して、裕二郎は「よし、わかった」ってなんでもOKしてくれていたので、わがままな弟としっかり者のお兄ちゃんみたいな感じだった」と言っており、仲間であり兄弟であるような関係性だったことが伺えます。

公式戦初シングル戦

「NO LIMIT五番勝負」などを経て、自力をつけてきた二人でしたがいよいよ公式戦で激突します。ヤングライオン時代を除けばおそらく初シングル対決。2008年7.5 IWGPジュニアヘビー王座決定トーナメントです。

出典:新日本プロレス公式サイト

この試合では先輩である裕二郎が勝利しましたが、バックステージコメントは、やはりお互いへのリスペクトと愛情のこもったものでした。

裕二郎「内藤、強くなったな。ホント強くなった。(中略)パートナーだけど、相方だけどよ、絶対負けたくないヤツはアイツだから。アイツ以上に俺は成長するよ」

内藤「(前略)今日やって思った。やっぱり、俺のパートナーは裕二郎だ。今日対戦して確信した。多分、裕二郎が優勝するでしょう。そしてら一番に俺が挑戦するから」

出典:新日本プロレス公式サイト

IWGPジュニアタッグベルト初戴冠

お互い仲間であり兄弟でもある二人が切磋琢磨し、ついに2008年10.13 IWGPジュニアタッグベルトの初戴冠となりました。裕二郎は4年、内藤はわずか2年でのベルト戴冠となります。

出典:新日本プロレス公式サイト

バックステージコメントは今まで以上にお互いへの愛に溢れるものでした。

裕二郎「俺たちが今日からIWGP Jr.タッグチャンピオン、裕二郎と内藤だよ。よろしくお願いします!(後略)」

内藤「4月のIWGP戦、9月のGHC戦、両方とも俺が負けたから、裕二郎には申し訳ないことしたなと思っていたから、今日は俺が獲ってチャンピオンになりたかったけど、また1個、借りを作っちまった。嬉しいけど、悔しい」

裕二郎「そんなことない。内藤がいなかったら、俺なんてチャンピオンになれてないから。(後略)」

内藤「俺は調印式で「新日Jr.のナンバー1のタッグは悔しいけどプリンス・プリンス(対戦相手)だ」って言ったよ。でも、今日俺らは勝ったから。もう正真正銘俺らが新日Jr.ナンバー1タッグチーム。(後略)」

裕二郎「これからの新日本Jr.戦線、俺と内藤が引っ張って行くから。俺たちNO LIMITに期待してください。(後略)」

出典:新日本プロレス公式サイト

若さと勢いがあり、かつお互いの強い信頼関係を築いてきた二人がなぜ解散してしまったのか?真相は分かりませんが、こう言った経緯を辿って行くことになりました。

Jr.タッグベルトを奪われる→CMLLへ

2009年1.4 でモーターシティマシンガンズと対戦したNO LIMIT。メイドインデトロイトで、内藤から3カウントを奪取されました。

これでベルトがアメリカのTNAに流出することになり、二人はアメリカに乗り込んで再度奪取を試みますが、試合を2度行って共に失敗。

このままでは日本に帰れない、と言うことでそのままメキシコのCMLLへ移動。NO LIMITはメキシコで大活躍を遂げるのですが、裕二郎はメキシコのやり方が合わなかったようです。

IWGPヘビー級タッグベルトを初戴冠

CMLLでの活躍により、その年の12月に帰国命令。翌年の東京ドームで、今度はIWGPヘビー級タッグベルトに挑戦。見事に初戴冠となりました。

同じタッグチームでIWGPヘビー級と IWGPジュニアヘビー級のベルトを巻いたのは、このNO LIMITとヤングバックスだけの快挙でした。

その後、メキシコ遠征時にカベジェラ戦で負けたテリブレ・テハノ組に勝利し、防衛しました。

亀裂が深まる二人

CMLLでの活躍、IWGPヘビー級ベルトの戴冠と順風満帆に進む二人でしたが、更なる高みを目指す途中で、徐々に亀裂が入り始めます。

棚橋を裏切り、Chaosへ

徐々にラフファイトが目立つようになるNO LIMIT。2010年4.4に6人タッグ試合中に棚橋を裏切り、当時ヒールユニットだったChaosへの移籍を表明。

「棚橋を倒すには対角に立つ必要がある」と自伝で書いていた内藤のコメントの通り、お互いに新日本プロレスのトップを目指すようになります。

IWGPタッグベルトを失う

4.4の棚橋への裏切りにより因縁が深まった青義軍を含めた3wayマッチで永田・井上組に敗れたNO LIMITはベルトを失います。

その後3wayマッチを二度行いましたが、奪還することはできず、低迷の時期に入ります。

タッグ戦線振るわず

その年のG1に内藤が出場し活躍をする反面、NO LIMITとしての結果が出せず、ワールドタッグリーグ(当時はG1タッグリーグ)で優勝決定戦に進出するも再び永田・井上組に敗れます。

シングル路線を進もうとする内藤と、タッグを盛り上げようとする裕二郎。NO LIMITにとって、この年は亀裂を深める年となってしまいました。

IWGPタッグを狙うが失敗→解散へ

翌年の5.3 福岡で当時チャンピオンだったバッドインテンションズに挑む裕二郎と内藤は王座奪取に失敗。これにより両者の亀裂が決定的になりました。「内藤がチャンスを全部潰した!」と言う裕二郎と「俺が全部悪い」と言う内藤。

そして5.26後楽園大会での6人タッグマッチで、裕二郎を含むChaos勢は内藤のタッチを拒否。内藤は見殺しにされる形でピンフォール負け。すると裕二郎が「オマエはもういらねぇーんだよ!」とコメントし、NO LIMITは解散となりました。

これが既に10年ちょっと前。皆さんがご存知の通り、10年経って二人の立ち位置は大きく変わってしまいました。

さて、その状況の中で裕二郎がどこまで意地を見せていくのか?

内藤はプロレスやコメントを通じて、どんな想いをぶつけていくのか?

その答えが分かるのは今日ですね!

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