棚橋と小島の点と線

2011イッテンヨンのIWGPヘビー級選手権、棚橋vs小島が公開されていますね。ブログアップが遅れてしまって、既に少し前のことになっておりますが…。

出典:新日本プロレスワールド

あれ?こんな大事な試合、今まで公開されて無かったかなぁと思いきや、日本語実況は普通にありました。

出典:新日本プロレスワールド

絵的にはこちらの方がカッコいいけど、棚橋のパタリロ感が…(笑)。

最近のファンの方は、小島がずっと新日本プロレスでは無く、途中で全日本プロレスに行ったことはご存知ないかもしれません。

全日本プロレス時代の小島聡

2002年、当時総合格闘技路線を進めていたアントニオ猪木に反発した武藤に追随する形で全日本プロレスに移籍。2005年2.20で外敵としてIWGPヘビーvs三冠ヘビーのダブルタイトルマッチで天山と対決し、IWGPヘビーのベルトを初戴冠しベルト流出。金髪で普通の飯塚が懐かしい…(笑)そして全日本プロレス側のセコンドに本間とタイチ。試合後にIWGPヘビーのベルト放り投げて去る小島。内藤の前にも放り投げる選手がいましたね。

その後、2006年、2008年にG1参戦。2008年は全日本プロレス所属のまま天山とのタッグでG1 TAG LEAGUEで優勝。結局、継続して新日本のリングには上がっていましたね。2010年に全日本プロレスを退団してフリーに。

棚橋とのストーリー

2010年にフリーの立場でG1参戦表明。この年のG1優勝決定戦が、なんと小島vs棚橋でした。結果はここではお伝えするのを止めておきますが、興味のある方はぜひ試合をご覧ください。ちなみに外敵として参戦!と言うことでしたが、場内はすっかり「おかえりなさい」ムード…。

その後、小島は真壁に勝利してIWGPヘビー級チャンピオンに。おっとこの試合は無かった…涙。その代わりに同日のゴールデン・ラヴァーズvsAppolo55のIWGPジュニアタッグ選手権がありますので、ご興味のある方はどうぞ(笑)

ところで、IWGP次期挑戦者の小島の指名は中邑でしたが、前王者の真壁、後藤、棚橋が挑戦表明。翌年のイッテンヨンに向けて盛り上がりを見せる各陣営。そして、12.11と言う今では考えられない時期にIWGPヘビー級タイトルマッチが小島vs中邑で行われ、同日にスペシャルシングルマッチとして棚橋vs後藤戦。小島、棚橋の両者が勝ってイッテンヨンで激突となりました。

この頃になると、ようやく小島に対するブーイングで外敵感が出てきて、「言っちゃうぞバカヤロー!」も封印。ただ、この時期の試合が新日本プロレスワールドには一切無く…ちょっと寂しいです。

この試合後

小島がIWGPヘビーのベルトを戴冠した頃に、タイチがセコンドとして帯同するようになっていましたが、小島軍(仮)を結成。2011年2.20で再び両者がベルトを掛けて戦うことになりました。

この小島軍(仮)がのちに鈴木軍(仮)になっていく過程も、ある意味棚橋と小島のストーリーに一部ではありますが、それはまた後日と言うことで…。

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