ユニオーネの点と線

週末のTele Pro-Wrestling ユニオーネSPは神回でしたね。この2人のタッグは結果を残した訳では無かったですが、記憶に残るタッグチームでした。短期間だけ組んだ伝説のバンドのようです。

今回は2人の絆はもちろんですが、今まで新日本プロレスワールドでは出てなかった試合がたくさん見れたことが良かったです。2008年〜10年前後のユークス時代の映像は極端に少ないんですよね…。この頃のタイチは、今のタイチしか知らない人には信じられないくらい前向きでアツイ若者でした。

2007年のタイチ

2006年から新日本プロレスにリングに上がり始めたタイチ。2002年に全日本プロレスでデビューしているので、この時点で4年のキャリアだが、なかなか結果が出せずにいました。試合に負けるたびに反省の弁、次は負けない、結果を出さないといけない、の言葉を繰り返す好青年でした。

その中で、2007年はBest of Super Jr.に初参戦。初戦の2007年6.2 当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったプリンス・デヴィットに雪崩式ブラックメフィストで初勝利したものの結果は2勝4敗の負け越し。BOSJ最終戦でのコメントは以下のように非常に前向きでした。

(前略)今回こうやってリングに上がってみて、新日本プロレスのJr.はやりがいがあって、本当に面白い。こんなに面白いリングがあるんだと気付きました。1番Jr.が熱いリングだと思います。これからもずっと新日本に上がり続けて新日本のトップを狙いたいと思います。(後略)

出典:新日本プロレス公式サイト

この年のBOSJの優勝者は、初出場のミラノコレクションATだったのも、今後の因縁を感じさせますね。

その後、タイガーマスクと組むことが多くなるタイチでしたが、タイガーの評価は厳しいもので、半ば見捨てた感もあったように思います。

自身の2007年最終戦でも反省の弁がコメントとして上がっています。

永田「もっとぶつかれよ、お前!」

タイチ「すみません」

永田「負けんの悔しいだろ、オイ?「負けたくない、勝ちたい、のし上がりたい」と言う気持ちが足りない!」

タイチ「今、永田さんが言った通りだと思います。まだまだ力不足だって実感しています。もっともっと、絶対強くなってやる」

出典:新日本プロレス公式サイト

2008年のユニオーネ

もうあとの無いタイチ。前半は先輩レスラーたちから引き続き厳しいコメントを受けながら、オカダ(4.12デビュー戦)を含む後輩レスラーには勝利するものの、主だった成果を上げられずにいましたが、5.15にミラノコレクションATとTNAへ遠征することが発表となりました。

何とかして結果を出して生き残りたい、と言う姿勢がこの時期のタイチのコメントからヒシヒシと感じられます。コメントでは丁々発止のやり取りをしていますが、きっとタイチがミラノに相談したであろうことは容易に想像できます。

また、遠征前に幾つかのシングルマッチが組まれるようになり、その一つとして田口との試合が組まれましたが両者のコメントが今の日記のやり取りのように仲の良さが窺える内容となっています。

出典:新日本プロレス公式サイト

田口「リングを降りれば良き友の石狩太一と試合。上を目指すもの同志、プライベートを抜きにして、お互い意地を張った攻防が出来たと思います。(中略)雑誌で僕の1週間くらい後に全日本プロレスでデビューした石狩選手の記事を見て、その時から将来的にライバルになるのかなと思っていたんですけど、こんなに早く新日本の仲間になって、ここまで仲良くなるとは思っても無かった(後略)」

タイチ「(前略)田口とはデビューが10日しか変わりません。年齢だって全く一緒、キャリアも全く一緒。そういうのもあって、僕はデビュー当時から田口といつかシングルをやりたいと言い続けてきました。やっと今日、デビュー6年目にして、それが実現した。何としてでも勝ちたかった。他の同期を見ても、田口、後藤、中邑、俺だけ遅れをとっている。それは自分でも自覚している。絶対にアイツらに追いつかなきゃいけない。(後略)」

出典:新日本プロレス公式サイト

そして6.1に、タイチとミラノコレクションATとのシングルマッチ後に、アメリカ遠征に出発。TNAではタイチの試合が組まれず、TJPとタッグを組んでいたと言うことがテレプロでもコメントありましたね(笑)

TNA遠征から戻った後に、ミラノコレクションATとの確執が生まれ、9.21のシングルマッチで和解。その後ユニオーネとして活動を開始したのはテレプロで話があった通りです。

そんな中で、タイチの年内最終戦となる12.23。ミラノコレクションATと組んだタイチは田口・オカダ組に勝利。その時のタイチのコメントが以下です。

ミラノ、ありがとう。最高に楽しかった。2008年の下半期から奴とずっと組んで、最高に楽しい2008年でしたね。(中略)この調子を2009年に持って行って、2人で狙えるモンは全部狙っていきたいと思います。2008年ありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。

出典:新日本プロレス公式サイト

2009年–10年のユニオーネ

詳細はテレプロの通りですが、ユニオーネが最も活躍した時期。Apollo55との戦いを中心に繰り広げられました。

圧巻だったのは、2009年9.13、ミラノコレクションATの事実上の最後となった試合。3人がかりの攻撃を耐え続けるタイチ。タイチを助けるべく眼帯をつけたままリングに戻ってきたミラノコレクションAT。これには泣かされましたね。当時のタイチのコメントに涙ぐむテレプロでのミラノの姿にも、もらい泣き必至です。

大変残念なことに新日本プロレスワールドには掲載されていないので、ぜひテレプロをご覧頂ければと思います。

そして、ミラノコレクションATの引退セレモニーの翌日にメキシコへ旅立ったタイチ。

その前に壮行会代わりのシングルマッチ(2.11)を行ったが、相手は飯塚。タイチはこんなコメントを残しています。

(前略)おお、そうか。今日は俺の日本での最後の試合だからな。昔の飯塚にでも戻ったか?道場長の飯塚の心が戻ったかよ?(中略)最後、ちょっとでも昔の飯塚高史に見えたよ。ちょっとでもその気持ちがあるんだったら、忘れんなよな。そして、俺が帰って来たら、昔の飯塚高史、飯塚さんでよ、もう1回シングルやってくださいよ。アンタにはおもちゃは似合わないよ。(後略)

出典:新日本プロレス公式サイト

その後のタイチ

メキシコ遠征後に、小島軍(仮)、鈴木軍を経て今に至っています。プロレスに対する姿勢、キャラもユニオーネ時代とはだいぶ変わりました。

ただ、時折変わっていない面を覗かせることがあります。石井とのNJCでの戦いで凶器のマイクスタンドを使わずに投げ捨てたり、バチバチの真剣勝負を行ったり。

中でも1番グッと来たのは、飯塚の引退試合。敢えてタイチが吠える必要な無かったと思いますが、「飯塚!お前本当にこれでいいのかよ!」と感情を剥き出しにしたこのシーン。

これからも、ある意味での2人の共闘は続いていくものと思いますが、きっといつか”タイチ式ヴィクトリア・ミラネーゼ”でベルトを巻く日が来ると期待しています。

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